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> 2002年1月(123)
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明けていた
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2002/1/1(Tue)
気付いたら年が明けていた、というのが今年の大晦日。ミレニアムと世紀をまたいだここ2年ほどの感慨はさすがにない。早めの夕食を済ませて作業に没頭していたら紅白もカウントダウン番組も終わってB級洋画の時間になっていた。
年越しに用意した蕎麦をすすりつつ「千曲川のスケッチ」に眼を通す。メッセージなき音楽の窮状を救う答を近代文学の黎明たる自然主義に求めるべく、明日から小諸に藤村の足跡を追う。予報によれば長野地方は雪。スキー列車に板も持たず身軽な旅姿。物好きには自ら呆れる。
小谷隆
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体感温度
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2002/1/2(Wed)
旅館の女将に零下10度と聞かされ、行く前から震え上がった。電車で87分の先は穏やかな都心より15度も低い。
しかし、零下15度に生まれ育った道産子の女性によれば室内はあちらの方が暖かいそうで、彼女は暖房の貧弱な東京の冬に震え上がっている。
寒ければ家を出ないのが北国の生活。薄いコートで摂氏5度の街をぶらつく方がずっと寒いのだ。
北国の歌に寒さよりむしろ温もりを感じるのはそういう理由によるのかもしれない。かえって都会の冬を描いた歌の方がずっと寒々しい。
軽井沢を過ぎ、もうすぐ佐久平。雪景色だ。
小谷隆
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身軽な旅
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2002/1/3(Thu)
小諸では珍しいこの時期の豪雪に閉じ込められた。散策さえままならぬ身は藤村の掛け軸と向き合いつつ、思考の堂々巡りを愉しんでいた。
旅は結論する場にあらずというのが最近のちょっとした悟りだ。解放された無意識の領域で勝手に展開させた思考のカオスから明快な答が出てくるのは、どうせ都会の日常のふとした瞬間であるに違いない。
かつてはどんなアイデアも逃すまいと、どこへ行くにも後生大事に音楽の機材を持ち歩いたものだが、荷は年々減って今回は別件もあったゆえ五線紙さえ持たぬ旅になった。理想は寅さんか。
小谷隆