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> 2002年5月(31)
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安易な英語詞について
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2002/5/1(Wed)
英語の話をもう一つ。歌詞に安易な英語が増えている。お囃子のように独特のグルーヴ感を醸し出したいというのならわかるが、最近の作品はどうもそれを逸脱している。
極端な例では「Everyday 君は Lovely,sweet,sweet girl」のように英単語と英単語の間に日本語を挟んで最後まで通すものもある。だったら「君は」も「You are the」で置き換えていっそ英語の歌にしてしまえと思うのだが。
かく申す僕はかつて「MIYAKO 1999」というアルバムを作ったとき、日本語化されていない外来語は使わないという誓いを立ててそれを押し通した。日本語だってちゃんと洋楽に乗る、ということを示したかったからだ。
小谷隆
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英語といえばまだあった…
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2002/5/2(Thu)
インディーズMP3サイトで「I'm jellyfish」という歌のタイトルを見て驚いた。ご本人は「私はクラゲ」のつもりだろうが、実は「私はJellyfish(さんという人)という者(物)です」になる。正しくは「I'm a jellyfish」。冠詞を抜いてはいけない場所だ。
日本語の歌だからといってこういった基本的な文法をなおざりにすると、間違ってそれを耳にした外国人の嘲笑の的になる。ちなみにA.R.T.でも英語の歌を2つほど製作したが、どちらもnative speakersの文章チェックを受けたし、部分的に英語を必要とする場合についても原則として英米人の校閲を仰ぐ。これはリスナーへの最低限のエチケットだと思う。
小谷隆
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日本語の壁に守られるJ-pop
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2002/5/3(Fri)
言葉の壁という言葉はふつうネガティブな意味で使われている。壁があるゆえにコミュニケーションに難がある、というふうに。
しかし実際はむしろ日本語という壁に守られている。この狭い島国の言語でありながら話し手は1億2千万もいて、その中で自己完結できるものも多い。特に音楽界はこの豊かで確実な市場の中で何百万枚ものCDが売れることに甘やかされ、都合のいいものだけを西洋から盗んでは翻訳し、あとは自給自足である。
英語の市場は10倍ある。つまり批評も10倍ある。その厳しい世界に晒されたことのない者が世界進出とは笑止千万だ。
小谷隆