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責任なき野党は死すべし
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2003/11/1(Sat)
とかく野党は与党とのメリハリをつけるために理想論の美辞麗句で選挙を闘いたがる。なるほどご立派なマニュフェストだが、事が実現するまでに起こりうる混乱やその収拾の仕方をまったく無視したやり方は集票目当ての無責任なプロパガンダにすぎない。
そういう観点で僕は頭が旧いと言われようと現与党3党を支持することにした。圧力団体や宗教団体が背後に見え隠れしようと関係ない。大事なのは現実的な政権担当能力の有無である。政権を任されたとたんに右往左往しそうな烏合の素人集団に政治を任せられる余裕など今の日本にはない。
小谷隆
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出発点に還れ
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2003/11/2(Sun)
修行も半ばの中途半端な段階で自分の型をこじつけてそれを立派な個性だなどと勘違いしている人は必ず越え難い壁にぶつかるものだ。もしぶつからないとしたら、しょせんは当たり障りのない世界に安住しているということである。自分を崇め奉ってくれる有り難い人々とだけ親近し、そのぬるま湯の中でヒーローないしはヒロイン然としている姿はまさに井の中の蛙かお山の大将だ。
馴れ合いの日々に自分を見失いそうになったら辻に立ってみるといい。そこで生身の自分を衆に問うてみよ。独りという名の出発点がそこにはある。
小谷隆
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臨界の極意
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2003/11/3(Mon)
道を極むるに守、破、離の三階あり。これはあらゆる世界に通じる修行の極意である。ひたすら学び鍛えるのが守、人の教えを抜け出してその奥にある真意を見つけるのが破、型を脱して自分の型を創出する段階が離。一方、化学の世界には相の遷移という言葉がある。氷は0度で水となり100度で水蒸気となる。
求道の人もまた臨界を超えて初めて次の相に至る。野球の打者は足腰が立たないようになるまでバットを振って初めて無駄の排除された理想的なスイングを身につけるという。
さて、今の自分はどこまで臨界に近付けただろうか。
小谷隆