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> 小谷の250字
> 2003年9月(30)
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夢に訊け
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2003/9/1(Mon)
壁に柱時計が3つ。真夜中、それらがみな停まっている。螺子を巻こうとしたが螺子回しが見当たらない。家族に訊ねたら不機嫌そうな顔で知らないと言う。諦めようとしてふと時計の扉を開けたらなんとその中にある。そういえば螺子回しはいつも時計の中にしまってあるのだと気付く。
これは最近、浅い眠りの中で見た夢だ。人生の様々な伏線を象徴する時計がみな停まり、解決を示す螺子のありかを求めて右往左往するが見付からない。しかし実のところ答は外に求めるのではなく最初から物事そのものの中にあるとこの夢は教えてくれた。
小谷隆
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歩みを止めて篭城す
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2003/9/2(Tue)
走り続けるのも大事だが、たまには心拍のリズムを変えなければ行き詰まることもある。そんな時は焦りから眼を背けてでも強引に歩みを止めてみる。だが走りながら考えることに慣れすぎてしまうと、いざ立ち止まって思い巡らしてみようとしても妙にそわそわして思考どころではない。安らかなはずの時間の中でも、焦りの残党にけしかけられた脚がじたばたと空回りして言い知れぬ疲労だけが鬱積していく。
それでもなお僕は静寂に身を閉じ込める。愛しい人が淋しいと悲鳴をあげようと、当面の答が出るまではここに篭り続けるだろう。
小谷隆
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生きてりゃいいさ
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2003/9/3(Wed)
中島みゆきの「生きてりゃいいさ」という歌がある。生きて喜怒哀楽を感じられる有り難みを感じると、死ぬわけじゃないならもっと苦しんでやろうという勇気さえわいてくる。
この世に本当の「生き地獄」なんてないと思っている。なぜなら人にとっていちばん怖いのは死ぬことであるはずだからだ。
僕は辛いとき、やがて必ず来る死のことを想う。すると言い知れない恐怖に襲われる。いま自分を自分であると意識する自分がなくなることほど怖いものがあるだろうか。苦しみから逃れるために死ぬなどという選択肢など僕にはない。
小谷隆