2001/11/30(Fri)
250字ではずいぶん文体が変わると指摘される。これは既述のとおり、文字数の制約ゆえに起こる端折りによるものだ。逆にいえばこれまでいかに無駄な記述が多かったかということでもある。晩年の鴎外のように、研ぎ澄まされた簡潔明瞭な文章を志すのにこの制約は実に有効なのかもしれない。筆の随うままに長さの制約もないのでは、余計な修飾や寄り道ばかり増えてけっきょく論点がボケるだけだということがよくわかってきた。
究極は五七五。250字に飽きたら俳句に乗換えるのも一興か。しかしそっちの方がかえって時間を食うだろう。
小谷隆