2003/9/15(Mon)
近所の老紳士が亡くなった。毎朝欠かさず朝日に祈りを捧げる信心深い人だった。生きて目覚めることができたことに感謝するかのように、明日もまた無事に朝を迎えられることを祈るかのように、その人はいつも決まった時間に路地に出て、ひとり東天に手を合わせていた。その姿に触れるたびに僕は生という人としての最低限にして最大の恵みのあり難さを思ったものだ。
やがて自分も朝日に祈るような老人になるのだろうか。時あたかも敬老の日。今の世の中を築いてくれた先人たちを労いつつ、自らの生の尊さを慈しむ日でありたい。
小谷隆