小谷隆 (こたにたかし) ネットラジオ |
音楽制作者、ネットラジオ主宰、短編映画監督、文筆家 アマチュア指導のほか、沢田知可子のデビュー前には専属で作詞を担当、森たまき(ポニーキャニオン)のプレデビュー盤では編曲とプロデュース、さらにシアターVアカサカでの舞台音楽や挿入劇のパート演出も手がけるなど常に独立独歩。 2000年7月にネット配信専門のA.R.T.レーベルを設立して本格的にインディーズアーティストの支援を始め、作詞・作曲・編曲から執筆までこなした。2001年3月には2ちゃんねる管理人・西村博之の知名度に支えられて「チーム2ちゃんねる」が国内フリーMP3史上初の1万DLを達成し、SPA!や日経エンタテインメント、読売PCなど数誌が取り上げ、元祖ネット音楽仕掛人として一躍話題となる。 創作活動の傍らヴォイストレーナーズアカデミーで作詞などの非常勤講師を務め、システマティックな方法論を指導。 「メジャーメジャーとガツガツするな。自分が聴きたいと思えるものを作れ」がモットー。ポップスにとどまらず、フュージョン、クラシック、演歌などジャンルを超えて精力的な創作を続け、ネット配信曲はA.R.T.レーベル関連だけで80曲以上、楽曲のストックは常に600を超える。98年から手がけてきたユニット「MIYAKO」は2009年10月にコロムビアよりデビュー。 文筆では87年に「悲しきフェミニスト」で集英社コバルト短編小説新人賞、93年に「元気うさぎ」で新美南吉童話賞。98年には草創期のMicrosoft Networkに音楽コラムを連載。現在も2001年11月10日から1日も休まず250字コラムを連載中。こっそり英文blogも執筆。 映像制作の経験を活かし、2002年秋からは短編映画や音楽のプロモーションビデオの自主制作も開始。同年10月にネットの短編映画配信スタジオとして「Kotani Film」を創設。異色の短編映画を送り出す。 2003年4月に「もういいでしょう」(水戸黄門か!)とレーベル活動をスローダウン、総合エンタテインメント制作のA.R.T.グループの主幹として同年7月からインディーズ音楽放送としては国内に例を見なかった24時間完全スケジュール放送のネットラジオ「これい〜なNon Stop Music Station」を立ち上げる。2004年2月には曲名表示機能などを備えたこれまでにないネットラジオサイトを自らプログラミングして構築。雑誌にも取り上げられた。「さっさと隠居して裏方に徹する」が口癖。ネットラジオ運営の一方、徹底した趣味人としておもちゃの鉄砲に関するblogを精力的に執筆する一方、萌え系ドールの制作も。 「食うに困らぬうちは印税よりも充実感」と語るカネや名誉では動かない頑固&偏屈者だがその実は涙もろい人情肌。本業は企業PRコンサルタント&ネットメディア企業取締役。現在は忙しい本業の合間に文筆活動。墓標に「小説家」と刻まれたい、が最近の口癖。 (2011/06/14 by 久住雅恵) |