■ 2003/12/10(Wed) - 新作短編映画「あの世」公開 |
短編映画の3作目「あの世」を公開した。今回は編集にずいぶん手間取り、クランクアップから実に1ヶ月以上を要している。同じシーンをいくつもの角度から撮影したテイクの数々から最適な組み合せを選ぶのにまずひと苦労。そしてそういうカットを自然につなげるために何度も試行錯誤を繰り返し、時にはたった30秒足らずの映像を納得いくものにするまでに10時間もかかったりした。どうつないでみても65点の映像は作れる。しかしそこからどれだけ上積みできるかが勝負だ。できることなら撮り直しをしたいような箇所もあったが、そういう制約の中で可能な限り自分のイメージに近づけるようにした。
特に意識したわけではないが、できあがってみたらシナリオにあったものが2割ぐらい削られていた。長編ではむしろ現場でのアドリブなどでシナリオにないものが加わったりして映画に厚みが出たりするが、短編の場合は逆に余計なものを削ぎ落としていく中で歯切れのよいリズムが生まれるようだ。
ところで今回は音楽家・小谷隆を棄てて僕は映像屋に徹している。音楽の方は北野善知くんというハンガリー帰りのピアニストに任せた。仮繋ぎの段階の映像を観せ、ああでもないこうでもないと何度かメールのやりとりをしてようやくイメージどおりの音を作ってもらった。彼の繊細なタッチから生み出されるピアノのアンビエントな音はこの作品のダイナミズムを確実に倍化させている。最大の賛辞と感謝の言葉を贈りたい。
しかし何といってもこの作品で光るのは名脇役・近藤善揮さんの演技だろう。Vシネマや舞台でも活躍するこの長身の名優は、ぶっきらぼうな中に温かみのある関西弁で作品に太い芯を通してくれた。主役が太陽で脇役が月だとすれば、ともすればギラギラとしてしまいがちな主役・黒柳陽子さんの存在感を見事なほどにソフトな光に換えて照らし返す役割を果たしてくれたと思う。陽子さんもずいぶんやりやすかったと述懐しているが、確かに撮影の現場にも独特の和んだ時空を持ち込んでくれた。近藤さんの醸し出す独特の「間」にそんな時空を感じていただけるかもしれない。
主役の陽子さんは近藤さんの存在感に負けじと、追加の撮影も厭わず体当たりの演技で応えてくれた。その表情の深さはセピアの陰影によく映える。得難き女優だと思う。
小谷隆
■ 2003/11/15(Sat) - カメラワーク一つで人形も名優に |
二匹目の鰌を狙ったわけでもないのだが、Micro Theaterの2作目を公開した。これもまたタイムスリップグリコのおまけ大活用。ホンダのナナハン、それにライダーの男女を配してある。特に女の方は抜群のプロポーションで、小さな画面ではわかりにくいが大変な美人女優(?)である。
とはいえ表情のない人形たち。これらにどうやって表情をつけるかが課題だった。そこで思い出したのが、面の角度や仕草だけで微妙な表情を醸し出す能の舞台。実際、カメラワークや光の加減を工夫してみたらいとも簡単に人形たちが様々な顔を見せてくれた。
カメラに演技をさせてはいけないというのが映画撮影の常識である。僕もカメラに演技をさせているつもりはない。しかし、演技はさせないにしても演出には参加させている。人を相手にするときも同じだ。役者がどれだけいい表情をしても、絶妙なカメラワークがそれを捉えなければせっかくの演技も活かせない。逆にまずい演技でもカメラワークひとつで救えることがある。
悲しそうな顔を撮るには悲しそうな顔を撮るのにふさわしいアングルでなければならない。笑い顔にも笑い顔用のアングルがある。そしてたとえば笑顔ひとつにも様々な表情がある。とはいえ難しく考えることはない。要は役者の顔や体のどこが主役でどこが脇役になっているかをわきまえて、それらをあたかも人の配置のように見立ててベストなアングルを探ればいいのである。これは写真撮影のときにも参考になるだろう。
さてこの小品、新作映画の編集になかなかまとまった時間が取れない中、フィルターやエンコーダーのテストのため、またフラストレーション解放のためにやった習作である。仕事の合間にわずか40分で仕上げたお気楽な作品にサーバーの容量を食わせるわけにもいかず画面は小さいが、機会があればもう少し大きなサイズで人形たちの名優ぶりをお楽しみいただきたいところだ。
小谷隆
■ 2003/10/25(Sat) - 「Micro Theater」スタート |
グリコが「タイムスリップ・グリコ」という、むかしのおまけを復刻させたキャラメルを販売している。ウルトラマンや怪獣、ジャイアント馬場、往年の名車、南極観測船、それに昔懐かしい電器製品などラインナップはかなり豊富である。小物好きの僕としてはついつい250円の誘惑に勝てず手を出してしまい、いつの間にかデスクの片隅にジオラマコーナーができつつある。
しかしこれをただ並べておくだけというのももったいない気がして、ふと思い立ったのが特撮映画。ちょうど仕事でビデオ編集ソフトのモノクロフィルターのテストをしなければならなかったのでちょうどいい題材になった。
モノがモノだけに凝ったことはできないが、逆にチャチだからこそ別の意味でのリアリティも出るかもしれないと思ってミニチュアたちにカメラを向けること1時間、モノクロの小品が完成した。元はテレビ画面大の作品だが、あえて小さな窓で観る大きなにしてみた。「Micro Theater」と題して本日配信を開始した。
ウルトラマンシリーズに胸躍らせていた頃から30年。円谷プロを冒涜するような作品を作ることになろうとは・・・
小谷隆
■ 2003/03/19(Wed) - 世界最小の映画祭? |
映像の世界もいよいよここまで来たかという感。インターネットに対応した最新型携帯電話端末に、自主制作の短編映像を配信する世界最小の映画祭が米国で開催されるらしい。スポンサーのビッグディジット社の関係者が、移動体通信業界の会議で明らかにした。
応募作品は既に100を上回っており、長さは平均2.5分で最も短い作品は16秒。
さて、この小さい窓で語れるエンタテインメントとは? また頭が痛い。
小谷隆
■ 2003/01/01(Wed) - 新年早々「運命」公開。 |
明けましておめでとうございます。本年もどうぞよろしく。
ということで年明け早々、新作短編映画「運命」を公開した。登場人物も増え、前作「カミサマ」に比べるとかなり手の込んだ作りになっている。とはいえシナリオの段階から頭の中に映像を組み立ててあったので撮影はスムーズにいった。のべ2日である。前作から今回の作品までの間にいくつか音楽のプロモーションビデオを手がけたことでソフトウェア上での編集に関してかなり腕を上げたのがおわかりいただけると思う。リニアで編集をしていた頃の勘所も少しずつ戻ってきた感がある。作品ごとに編集のクォリティが上がっていくことだろう。
作品のことを作品の外で語るのはタブーだが、あえてこの作品について短いコメントを添えておくと、「運命」は日本人の混沌とした宗教観に対する痛烈な皮肉である。理屈で割りきれないものをすべて「カミ」として崇め、不可解であることへの畏れと信仰とがごっちゃになっておよそ宗教・信条などとは呼べないお粗末な思想に振り回されている多くの日本人への警鐘だ。
なお、「運命」ではBGMに同じ題名の交響曲のほか、ベートーベンの9つの交響曲の中から僕の好きなハイライト部分をピックアップして盛り込んである。演奏はすべてシンセサイザーによるものだ。
小谷隆
■ 2002/12/21(Sat) - 演技の適度な大きさとは |
さる筋からご招待をいただいたので、芸術座の舞台を観てきた。松坂慶子さん主演、「奥様の冒険」。なかにし礼さんの作品で、随所に礼さんの作詞作品の歌が登場する準ミュージカルである。松坂慶子さん扮する39歳のくすんだ主婦が、マンションの隣に越してきたカラオケ教室の騒音に殴り込みをかけたら、そこの先生(山城)に潜在的な魅力を発見され、「もうひとりの自分」探しの旅に出るというものだ。
山城さんや草刈正雄さんなどの名脇役に支えられて舞台そのものは良い出来だったが、歯に衣着せずいえば松坂慶子さんの演技はお世辞にも巧いとは言えなかった。僕の作った「MIYAKO1999」というアルバムを愛聴してくれた松坂さんには申し訳ないが、はっきり言って一生懸命なのはわかるものの女優・松坂慶子としての知名度と魅力がなかったらとうていあの演技力では勝負にならない、というのが正直な感想だ。この人はまだまだ映像だけの人だな、と感じた。
映画にしろテレビにしろ、もともとは舞台がそこにない代わりに遠隔で見せる代替品にすぎず、それがひとつの芸術として独立しただけのこと。そこにはお客さんの反応がないから、役者はそこにいないお客さんをバーチャルで感じながら演技しなければならない。しかしこれが実に難しい。
どうも映像用の演技は小さくなりがちだ。日常の動作の大きさを脱することができない。しかし映像であれ演技で感情を伝えようと思うとかなり大げさにやる必要がある。そのあたりの呼吸はやはり舞台と客席とのやりとりから得られるところが大きい。だから1本数千万円のギャラの出る映画俳優でさえ時おりカネにもならない舞台に立ってそれを再確認するわけだ。
舞台を手伝っていた頃、僕はどちらかというと演技を大げさにやるように指導する方だった。するとたいていの俳優はそれではわざとらしいと文句を言うのだが、本人にとっては少しやり過ぎだと感じるぐらいが実はお客さんにとってちょうどいい演技なのだ。これは舞台でも映像でも同じ。
とはいえただ動作を大きくすればいいというものでもない。松坂さんの場合、大きくしようとする意思が単なるオーバーアクションになってしまっていた。しかし大事なのはアクションそのものの物理的な大きさではない。必要なのはメリハリだ。どんな小さな動作にも30メートル離れたお客さんに伝わるぐらいダイナミックなメリハリがいる。テレビドラマでも映画でも広いスタジオやロケ地ならカメラはけっこう遠い位置から映像をとらえたりする。そうしないと役者はついつい目先のカメラとの距離感で演技をしがちだ。ちなみに僕は音楽の現場にあっては唄い手に「マイクに向かって唄うな」と口をすっぱくして言っている。役者なら「カメラに向かって演技するな」ということになる。
30メートル先のバーチャルなカメラ---あたかも芸術座の最後列にあるカメラ---これを意識できれば1000人のお客さんに向かう演技ができる。1000人を相手にできる演技なら10万人の相手もできようというものだ。これを意識することができるようになったら映画俳優としては一流だろう。そして、もしもそういう距離感が感覚としてつかめるのならあえて何ヶ月もの時間を稽古に費やしてまで舞台に立つ必要はないと僕は思っている。
手前味噌になるが、うちの黒柳陽子さんは舞台経験こそないものの、映像の中においてさえ時にフレームに収まりきらないような存在感を醸し出してくれることがあり、きっと舞台もこなせる人なのだろうと思っている。何しろ忙しい人なので劇場芝居どころではないというのが残念なところだが、いつかゆとりができたら舞台を踏ませてあげたいものだ。きっと舞台が小さく感じるような演技をしてくれることだろう。
しかし、あれこれ言ったものの松坂慶子さんの女優としての存在感は凄い。演技の未熟さをカバーして余りある。否、演技の稚拙なところ自体が実は演技ではないかとさえ思わせるだけの力がある。そういう意味では大女優だと思う。四十路後半にさしかかろうとする年齢だろうが、女優としてはまだまだ円熟していく期待感さえ抱かせる。
小谷隆
■ 2002/12/15(Sun) - 新作短編映画クランクイン |
新作「運命」がクランクインした。激務の合間を縫っての撮影になるが、今年中にどうしてももう1つ手をつけておきたかった。今回は短編といっても出演者が複数になるし、現在のインフラからするとかなりの「大作」の部類といえる。前作のように1日ですべての素材を撮影し切るというわけにもいかない。
シナリオについてもかなり綿密なものを用意した。インサートカットの詳細やBGMのタイミングまで書いてある。しかし毎度のことだが撮影の現場で新たなアイデアが浮かぶと臨機応変に書き換えてしまうので、もはや最初の原型からはかなりかけ離れたものになっている。いざカメラを回してファインダーの画を眺めてみると、紙の上で想像していたのとは違うものが見えてくる。実のところそうした現場での発見こそが良い作品を作るエッセンスになっていると思う。ただそれは事前に綿密なシナリオを準備する過程でいろいろなことを煎じ詰めた結果として生まれてくるアイデアであるともいえる。
それぐらい煮詰めたシナリオがあると、出演者としてもイメージが湧きやすいようだ。たとえ現場で変更があっても、確固たる柱ができあがっているとどんなことにも臨機応変に対応できる。実際、黒柳陽子さんも再三の変更にもかかわらず快く対応してくれた。
さて、今回は音楽でもちょっとした面白い試みをしようと思っている。これも撮影しながら思いついたことだが、全編、ベートーヴェンの9つの交響曲の中で僕の好きなハイライト部分をBGMに採用することにした。とはいえベルリンフィルやウィーンフィルの音を使うわけにもいかず、自前のシンセサイザー音源の演奏になる。パソコンでどこまで本物っぽいオケの音を出せるか、これも大きなチャレンジだ。何しろ楽器の数が多いのでたった数小節でも打ち込みに数時間かかるが、これはこれで編曲の勉強にもなるから一石二鳥かもしれない。
ただでさえ公の時間も慌しい年の瀬。音楽においてもこの映画がクランクアップするまでの間に別の映像作品を撮るかもしれないし、音楽制作者として数曲の新曲も発表することになるだろう。しかし人間はえてして忙しいときの方が仕事が速いものだ。無理のきかない歳にさしかかってきたとはいえ、まだ不惑の歳までには少々時間がある。今年いっぱいは全力で駈け抜け、電車のうたた寝で痛めた背筋も走りながら治していこうと思う。
小谷隆
■ 2002/12/02(Mon) - 被写体側へ |
自らの音楽活動として新たに組んだ男ユニット「Nippon Danjie」のPVを撮影した。今回、藤浪くんという非常に優秀なプロのカメラマンに撮影をお願いし、初めて撮られる側に回ってみたわけだが、自分の動きのあまりに中途半端なのには驚く。ファインダーに向かっているときはいつも被写体に「もっと極端に動け!」と檄を飛ばしているものの、いざ実際に自分がそちら側に立ってみるとどうも動きがぎこちなくしかもダイナミクスが足りない。自分ではずいぶん派手に立ち回ったつもりなのだが。
それにしても藤浪くんというのは非常にすばらしい映像を撮ってくれる。同じ釜の飯を食ったこともあり、公私ともによく知っている間柄ゆえ、いちいち事細かに説明しなくても僕がどんな映像を期待しているか阿吽の呼吸でわかってくれる。テープにはいっさい無駄がなく、まさにこんな画がほしかった、というものばかりだった。実に得難いカメラマンだ。
彼がいなければ僕が被写体に回ることはまずないだろう。というか、彼がいてくれるならいっそ僕も監督兼俳優をやってみようかなどというイケナイ願望にとりつかれる今日この頃である。
小谷隆
■ 2002/11/17(Sun) - PVの効能 |
フィルムスタジオと銘打ちながらショートフィルムはいまだ1本のみであとは音楽のプロモーションビデオばかりやっている。ヤル気あんのかと言われてもしかたない。僕はもとより身も心も音楽屋なのだから・・・と開き直る一方、実をいうと音楽PVというのは習作として非常に有効なのであって、様々な映像表現の実験場にもなっている。いやそれ以前に、映像から離れて8年近くになるこのブランクを取り戻す良いリハビリになっている。
とはいえそろそろまた新作のシナリオを進めないと陽子先生からお叱りのメールが飛んでくるかもしれない。
小谷隆
■ 2002/10/27(Sun) - 撮り手を鍛えてくれる素材 |
「カミサマ」の黒柳陽子さんの評判が上々のようだ。何とかその魅力の片鱗を表現できたようでほっとしている。
実はこういう正当派の美人を撮るのはすごく苦手である。こういう人はどう撮ってもそれなりに美しくは映る。しかしそれゆえ他の撮り手との差をつけるのも難しい。クセのある風貌ならいろいろな遊びを盛り込んで「味付け」もできるが、この人のようにまっすぐなキャラは小手先の誤魔化しがきかない。撮り手の能力がはっきりと出る。今回はセピアなのでまだダイナミクスが小さい分だけ救われたものの、カラーになったときにはさらに高度な技術とセンスが要求されるだろう。まことに撮り手を鍛えてくれる素材だ。
映像の仕事から離れて8年。急ぎこのブランクを取り戻して、陽子さんの珠玉の笑顔を天然色でお届けしたいものだ。
小谷隆