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演技の適度な大きさとは
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2002/12/21(Sat)
さる筋からご招待をいただいたので、芸術座の舞台を観てきた。松坂慶子さん主演、「奥様の冒険」。なかにし礼さんの作品で、随所に礼さんの作詞作品の歌が登場する準ミュージカルである。松坂慶子さん扮する39歳のくすんだ主婦が、マンションの隣に越してきたカラオケ教室の騒音に殴り込みをかけたら、そこの先生(山城)に潜在的な魅力を発見され、「もうひとりの自分」探しの旅に出るというものだ。
山城さんや草刈正雄さんなどの名脇役に支えられて舞台そのものは良い出来だったが、歯に衣着せずいえば松坂慶子さんの演技はお世辞にも巧いとは言えなかった。僕の作った「MIYAKO1999」というアルバムを愛聴してくれた松坂さんには申し訳ないが、はっきり言って一生懸命なのはわかるものの女優・松坂慶子としての知名度と魅力がなかったらとうていあの演技力では勝負にならない、というのが正直な感想だ。この人はまだまだ映像だけの人だな、と感じた。
映画にしろテレビにしろ、もともとは舞台がそこにない代わりに遠隔で見せる代替品にすぎず、それがひとつの芸術として独立しただけのこと。そこにはお客さんの反応がないから、役者はそこにいないお客さんをバーチャルで感じながら演技しなければならない。しかしこれが実に難しい。
どうも映像用の演技は小さくなりがちだ。日常の動作の大きさを脱することができない。しかし映像であれ演技で感情を伝えようと思うとかなり大げさにやる必要がある。そのあたりの呼吸はやはり舞台と客席とのやりとりから得られるところが大きい。だから1本数千万円のギャラの出る映画俳優でさえ時おりカネにもならない舞台に立ってそれを再確認するわけだ。
舞台を手伝っていた頃、僕はどちらかというと演技を大げさにやるように指導する方だった。するとたいていの俳優はそれではわざとらしいと文句を言うのだが、本人にとっては少しやり過ぎだと感じるぐらいが実はお客さんにとってちょうどいい演技なのだ。これは舞台でも映像でも同じ。
とはいえただ動作を大きくすればいいというものでもない。松坂さんの場合、大きくしようとする意思が単なるオーバーアクションになってしまっていた。しかし大事なのはアクションそのものの物理的な大きさではない。必要なのはメリハリだ。どんな小さな動作にも30メートル離れたお客さんに伝わるぐらいダイナミックなメリハリがいる。テレビドラマでも映画でも広いスタジオやロケ地ならカメラはけっこう遠い位置から映像をとらえたりする。そうしないと役者はついつい目先のカメラとの距離感で演技をしがちだ。ちなみに僕は音楽の現場にあっては唄い手に「マイクに向かって唄うな」と口をすっぱくして言っている。役者なら「カメラに向かって演技するな」ということになる。
30メートル先のバーチャルなカメラ---あたかも芸術座の最後列にあるカメラ---これを意識できれば1000人のお客さんに向かう演技ができる。1000人を相手にできる演技なら10万人の相手もできようというものだ。これを意識することができるようになったら映画俳優としては一流だろう。そして、もしもそういう距離感が感覚としてつかめるのならあえて何ヶ月もの時間を稽古に費やしてまで舞台に立つ必要はないと僕は思っている。
手前味噌になるが、うちの黒柳陽子さんは舞台経験こそないものの、映像の中においてさえ時にフレームに収まりきらないような存在感を醸し出してくれることがあり、きっと舞台もこなせる人なのだろうと思っている。何しろ忙しい人なので劇場芝居どころではないというのが残念なところだが、いつかゆとりができたら舞台を踏ませてあげたいものだ。きっと舞台が小さく感じるような演技をしてくれることだろう。
しかし、あれこれ言ったものの松坂慶子さんの女優としての存在感は凄い。演技の未熟さをカバーして余りある。否、演技の稚拙なところ自体が実は演技ではないかとさえ思わせるだけの力がある。そういう意味では大女優だと思う。四十路後半にさしかかろうとする年齢だろうが、女優としてはまだまだ円熟していく期待感さえ抱かせる。
小谷隆